田中町氏子会
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これまでの主な田中町関連祭事 |
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◆天満宮の由来 |
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天満宮は、菅原道真公を奉斎した神社で、 今から700余年前の鎌倉時代、海上に種々の奇瑞が現われ、 神託を乞うや、道真公の神霊が、この地に降ったとのことであった。 時の領主は、北野山満福寺泉蔵院を創建して守護させ、 神領として25貫文の地を寄せられた。 それ以来、住民の信仰が篤く、南北朝時代の頃には、 神前で大磐若経の転読が催された記録が見える。 |
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神仏混淆の時代には、久しく仏像を安置しておいた。 時が移り江戸時代になると、第2代徳川光圏公は、元禄年中に寺社改革(神仏分離)を行ない、 家臣東條常言に命じて、菅公の御神像を造らせ、神宝を添えて遷宮の式を行なわせた。 また祭礼の式も改め、社職を泉蔵院別当から柏原明神(現在の橿原神宮)の社守鈴木長門に命じた。 爾来、歴代の藩主は、とくに天満宮を尊崇し、祭礼の式は幾度か改められ、数百年を経た現在も伝承されている。 昭和58年5月 天満宮宮司 井上義 |
◆橿原神宮の由来 | |
神武天皇・桓武天皇・崇道天皇を奉斎した社で、 |
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その後、社名を橿原神宮と改め、湊村の鎮守として尊崇されるようになった。 ご祭神は、神武東征や蝦夷征討などの故事に因んで、多くの崇敬者から厄除けの神とあがめられている。 |
◆お神輿について |
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3日目の天満宮では「神幸祭」のあと、年番町に引き継がれ、 |
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海から上がった神輿は、奉仕者たちとともに水がかけられ町内を巡行し、
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◆みろくについて |
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元町のみろくは白、青、赤の神様で 、 |
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「能楽」の最初に演じられる「翁」という演目があります 。
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◆獅子について |
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御祭禮には六町目より露払いとして獅子を出すことになっています。 六町目の獅子は3匹の獅子で「ささら」と言われ底なし屋台で、 |
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このような棒にくくりつけて振るタイプの獅子を「棒ささら」とも呼びます。 |
◆那珂湊天満宮御祭禮の特徴 那珂湊天満宮御祭禮の大きな特徴は、伝統と格式とを重んじて正確に伝承する点、 |
参照 那珂湊天満宮御祭禮の紹介
http://minatotanaka.web.fc2.com/syoukaihtml.html
「みなと八朔まつり公式HP」が7月1日開設されました。
http://3710839.com/index.html
kifu.htmlへのリンク |