<いわれ> |
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那珂湊天満宮の祭りとして古くから行われ、以前は「御祭禮」と言っていましたが、 明治に入ってから「八朔祭」と呼ばれるようになりました。 那珂湊天満宮の由来は、今から700年ほど前に遡るといいます。 海上から菅原道真公の神霊が、現在の和田町付近に降り立ったということか ら、 北野山満幅寺泉蔵院が創建され、庶民の信仰を集めましたが、 水戸藩主 徳川光圀が仏教色を取り払い、、新しく御神像を造らせて 橿原神社の社守に奉納しました。 |
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<1日目> 年番町お宮参り |
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数々の祭事は両宮元町である釈迦町と元町が立ち会い、 年番町が引き継いで進めます。 |
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<2日目> 例 祭 |
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<3日目> 神幸祭 |
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華やかな風流物の巡行「町渡し」が繰り広げられ、神輿も出発します。
明神町を行列(供奉)が出発する時は、各町の町印(町名を書いた旗)、 露払いとしての六町目の獅子、元町の弥勒、屋台が抽選順に進みます。 |
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<獅子> |
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六町目の獅子は三匹の獅子で<ささら>とも言われ底なし屋台です。 あやつり人形のようなもので、屋台の上で「踊り」が披露されま す。 このような棒にくくりつけて振るタイプの獅子を「棒ささら」とも呼び、 この三匹獅子 は親子獅子だと言われています。 |
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<弥勒> |
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元町の弥勒は白、青、赤の神様で、住吉明神、春日明神、鹿嶋明神です。 屋台の上で、三体が「町渡し」のときに演じられます。 「能楽」の最初に演じられる「翁」という演目があります。 その原型が、父尉(釋尊)、翁(文殊)、三番(弥勒)をかたどったものといい、 やが て「翁式三番叟」の形式になっていったそうです。 |
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<4日目> 神幸祭 |
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<神輿> |
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華やかな風流物の町渡しに先立って、神輿が厳粛に、時に荒々しく町内を巡ります。 <3日目>の天満宮では「神幸祭」のあと、年番町に引き継がれ、 厳かな神幸行列となって御仮殿まで巡行します。 ここで神霊は一夜を明かし、翌朝、和田町の奉仕によって 神輿の綱掛けの儀、引き継ぎが行われ、いよいよお浜入りになります。 和田町を中心とした人々によって海中に神輿が沈められ、その中を荒々しく揉み合います。 海から上がった神輿は、奉仕者たちとともに水がかけられ町内を巡行します。 和田町の御旅所まで行き、年番町へ神輿が引き継がれ、 六町目の獅子と合流し、御仮殿まで厳粛に進みます。 夕刻には、「還幸祭」として御仮殿を出て天満宮へ向けて巡行し、 天満宮本殿に神霊 が還されることによって、祭儀は終わります。 |
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<4日目> 還幸祭 |
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<風流物> |
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風流物の屋台は、現在16台残され、三味線、太鼓、笛、鉦が乗 り、お囃子が演奏されます。 各町内等を巡行(町渡し)するときには、門付けと言って踊りを披露することがあります。 お囃子の曲には<おっしゃい><とっぴき><四町目><鎌倉>などがあり、 これらの演奏は、もちろんすべて生演奏です。 町内ごとに、地元はもとより各地から芸妓さんを乗せましたが、 現在では芸妓そのものが少なくなっているそうです。 各風流物の町渡しは午後10:00まで続けられます。 ページトップへ |
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