那珂湊天満宮御祭禮
御祭禮の紹介
八朔祭

<いわれ>

那珂湊天満宮の祭りとして古くから行われ、以前は「御祭禮」と言っていましたが、

明治に入ってから「八朔祭」と呼ばれるようになりました。

那珂湊天満宮の由来は、今から700年ほど前に遡るといいます。

海上から菅原道真公の神霊が、現在の和田町付近に降り立ったということか ら、

北野山満幅寺泉蔵院が創建され、庶民の信仰を集めましたが、

水戸藩主 徳川光圀が仏教色を取り払い、、新しく御神像を造らせて

橿原神社の社守に奉納しました。


<1日目> 年番町お宮参り


午前 9:00

 天満宮参拝

 数々の祭事は両宮元町である釈迦町と元町が立ち会い、 年番町が引き継いで進めます。
 氏子は那珂湊の22(現在は16)の町内で、
 その年の「年番」に当たった町内がすべてを取り仕切ります。


<2日目> 例 祭

午後 6:00

 祭 典

 神幸祭の各町の供奉順の抽選
 年番引き継ぎ
 神璽奉還の儀(神輿への御神入れ) 等



<3日目> 神幸祭


華やかな風流物の巡行「町渡し」が繰り広げられ、神輿も出発します。

   

午前9:00

 風流物町渡し

午後2:00

 神輿お綱掛けの儀

 天満宮

午後5:00

 各町内の行列出発

 明神町

午後5:30

 風流物及び町印集合

 明神町

午後5:40

 神幸の祭儀

 天満宮

午後5:50

 神輿の引き継ぎ

 大鳥居内

午後5:50

 神幸行列出発

 元町通り

午後5:50

 神輿 御仮殿到着

午後7:10

 各町印解散

 和田町中通り

午後7:30

 風流物町渡し



明神町を行列(供奉)が出発する時は、各町の町印(町名を書いた旗)、

露払いとしての六町目の獅子、元町の弥勒、屋台が抽選順に進みます。


<獅子>

六町目の獅子は三匹の獅子で<ささら>とも言われ底なし屋台です。

あやつり人形のようなもので、屋台の上で「踊り」が披露されま す。

このような棒にくくりつけて振るタイプの獅子を「棒ささら」とも呼び、

この三匹獅子 は親子獅子だと言われています。


<弥勒>

元町の弥勒は白、青、赤の神様で、住吉明神、春日明神、鹿嶋明神です。

屋台の上で、三体が「町渡し」のときに演じられます。

「能楽」の最初に演じられる「翁」という演目があります。

その原型が、父尉(釋尊)、翁(文殊)、三番(弥勒)をかたどったものといい、

やが て「翁式三番叟」の形式になっていったそうです。



<4日目> 神幸祭

 午前 5:00

 神輿 綱掛けの儀 神輿の引き継ぎ

 御仮殿

 午前 6:00

 神輿のお浜入り

 御旅所(和田町)

 午前10:00

 神輿 お腰掛け   神輿引き継ぎ

 午前10:40

 風流物町渡し 神輿出発

 午前11:00

 神輿・御仮殿到着、祭儀



<神輿>

華やかな風流物の町渡しに先立って、神輿が厳粛に、時に荒々しく町内を巡ります。

<3日目>の天満宮では「神幸祭」のあと、年番町に引き継がれ、

厳かな神幸行列となって御仮殿まで巡行します。

ここで神霊は一夜を明かし、翌朝、和田町の奉仕によって

神輿の綱掛けの儀、引き継ぎが行われ、いよいよお浜入りになります。

和田町を中心とした人々によって海中に神輿が沈められ、その中を荒々しく揉み合います。

海から上がった神輿は、奉仕者たちとともに水がかけられ町内を巡行します。

和田町の御旅所まで行き、年番町へ神輿が引き継がれ、

六町目の獅子と合流し、御仮殿まで厳粛に進みます。

夕刻には、「還幸祭」として御仮殿を出て天満宮へ向けて巡行し、

天満宮本殿に神霊 が還されることによって、祭儀は終わります。


<4日目> 還幸祭

                  

 午後 5:00

 風流物集合

 和田町中通り

 午後 5:30

 各町印集合

 和田町中通り

 午後 5:50

 神輿・御仮殿出発

 和田町中通り

 午後 6:00 

 還幸行列出発   

 

 午後 6:40

  還幸行列到着 
  神輿・引き継ぎ
  神璽奉還の儀(本殿への神還し)

 元町通り
 天満宮

 午後 7:30

  風流物町渡し(午後10:00まで)
   各町印が明神町通過、祭典終了



<風流物>


風流物の屋台は、現在16台残され、三味線、太鼓、笛、鉦が乗 り、お囃子が演奏されます。

各町内等を巡行(町渡し)するときには、門付けと言って踊りを披露することがあります。

お囃子の曲には<おっしゃい><とっぴき><四町目><鎌倉>などがあり、

これらの演奏は、もちろんすべて生演奏です。

町内ごとに、地元はもとより各地から芸妓さんを乗せましたが、

現在では芸妓そのものが少なくなっているそうです。

各風流物の町渡しは午後10:00まで続けられます。



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八朔祭については田中町はじめ各町の役員さんよりお聞きしました       
参考資料  「屋台のわだち」 菊池恒雄(那波屋店主)著
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