那珂湊天満宮御祭禮



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  平成25年 田中町 年番執行   





年番の動画紹介  


 8月1日(お宮参り) 8月2日(例祭) 8月3日(神幸祭) 8月4日(神幸祭2日目・還幸祭)

お宮参り 那珂湊天満宮御祭禮の様子 撮影:裕子
那珂湊天満宮御祭禮について  年番準備 年番の動画紹介  


平成7年(1995年)田中町年番


                   那珂湊のレトロな街並みへタイムスリップ (マキさんのHPから)








11月30日
若連忘年会

若連会の忘年会が磯良ビルで行われました。

たくさんの会員の方が参加され、楽しい時間を過ごしました。

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11月7日
御祭禮の紹介

「天満宮御祭禮(みなと八朔まつり)の紹介」を

YouTubeにアップしました。




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10月4日

御祭禮の様子

平成25年那珂湊天満宮御祭禮(八朔祭り)の様子を

YouTubeにアップしました。





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9月23日

写真展示

たくさんの方がお見えになり

写真の展示販売を行いました。



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9月7日

各町親睦会

各町若連親睦会が各町様から86名の方が参加し盛大に行われました。

田中町からも12名が参加しました。


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9月6日

写真展示

年番写真展示のチラシができました。

9月22日 午後1時から7時

   23日 午前9時から午後3時

磯良ビル3階

9月1日

バーベキュー大会

午後5時から氏子会バーベキュー大会を行いました。

途中あいにくの雨になってしまいましたが、たくさんの皆様にお越しいただきました。

若連の皆様には午後2時からの準備、雨の中の片づけ

本当にお世話になりました。

8月17日

直会

直会に32名が参加しにぎやかに行われました。

御祭禮お疲れ様でした。


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8月13日

御祭礼写真
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裕子さん達が撮影した写真をYouTubeにアップしました。




   
クリックすれば大きくなります




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8月5日

那珂湊天満宮御祭禮

8月1日から4日まで那珂湊天満宮御祭禮が
田中町年番で執行されました。

各町の皆様お世話になりました。

YouTube
http://www.youtube.com/playlist?list=PLENw4kmPMqvjMWN_WiMOIlIUe0qr1Y367

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8月1日






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お宮参り

お宮参りが行われました。

YouTube


http://youtu.be/6J5LrixT88w

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  年番の様子を動画でご紹介します。 参照 御祭禮ムービー
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         年 番 資 料   業務内容.pdf    行列配置PDF     太鼓等移動PDF   

                          <年番業務資料Excel(ダウンロード>  


7月31日

御祭礼禮準備

今年の準備の様子をYouTubeにアップしました。


http://youtu.be/f9nSHRKebtE

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7月28日

御祭禮準備

天満宮の注連下し、旗立て、お浜入り所整備、若連臨時総会とありました。
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7月27日

御祭禮準備

朝6時から旗立て、注連縄張り、事務所設営、屋台飾りつけを行いました。
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7月20日

草薙の儀

草薙の儀が行われました。
午後からはDVDを観ながらの勉強会でした。

ブ ロ グ
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7月19日

各町様運行順路

壱町目様.pdf

小川町様.pdf

御神輿.pdf

元町様.pdf

釈迦町様.pdf

和田町様.pdf

六町目様.pdf
ブ ロ グ

7月14・15日

リハーサル&
着付け講習

今日も朝8時からリハーサル、12時から執行部会議、
午後5時から実行委員会、7時から着付け講習会 
と忙しい一日でした。


ブ ロ グ

7月13日

草薙報道

天満宮・橿原神宮・釈迦町様・元町様・和田町様に
草薙報道を行いました。

草薙報道pdf



ブ ロ グ

7月7日

衣装説明会

稚児・手古舞衣装説明会が磯良ビルで行われ
衣装の配布、着付けの説明会を行いました。

ブ ロ グ

7月6日
和田町様との
協議会

和田町様と御神輿について協議しました。

ブ ロ グ

7月1日

行列順路

お宮参り行列順路、神幸行列順路、
還幸行列順路をYouTubeにアップしました。

お宮参り順路YouTube

神幸行列順路YouTube

還幸行列順路YouTube

ブ ロ グ

6月23日



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全体会議

天満宮において御神輿の整備、交通標識確認し、 午後6時からの全体会議には50名の会員が見えました。
ブ ロ グ

6月15日

各町申し合わせ会議

各町申し合せ会議がたくさんの各町役員さんに出席いただき開かれました。

申請書等をお配りし、警察署の課長さん、係長さんからは細かい指示を頂きました。
ブ ロ グ
6月9日 年番実行委員会 各町申し合わせ会議の準備、
記念誌作成のため「永井写真事務所」様にお願い致しました。
ブ ロ グ
6月8日 各町若連理事会 各町若連第2回理事会がありました。
今年の風流物屋台参加町が決まりました。
「壱町目様」「小川町様」「釈迦町様」「和田町様」と
「獅子 六町め様」「元町様 弥勒」です。
年番田中町しっかり頑張ります。
ブ ロ グ
6月2日 釈迦町様と打ち合わせ 釈迦町様との打ち合わせがあり、皆様にご教授頂きました。
同時に御神輿の点検・確認も行いました。
お世話になりました。
ブ ロ グ
 
520 幣束の作り方 PDFでダウンロードしていただくか、右記ブログをご覧ください。 ブ ロ グ
            クリックすると大きくなります         
幣束の作り方.pdf
5月19日 実行委員会 各委員会及び実行委員会が行われ、手拭も配布されました。 ブ ロ グ
5月12日 天満宮整備 天満宮境内の清掃及び御祭禮備品の確認がありました。

また手拭い、提灯も出来上がり実感がわきあがるとともに

気が引き締まる思いです。
ブ ロ グ
4月25日 御祭禮紹介ブログ
①那珂湊天満宮御祭禮
  ②獅子(ささら)について  ③弥勒(みろく)につて  ④御神輿について

                                                                 
⑤風流物について   ⑥平成25年御祭禮日程  ⑦囃子について 

4月21日
全体会議 35名の方が出席され、前年年番の小川町様から来ていただき
勉強会を開きました。
ブ ロ グ
     

4月14日
稚児・手古舞
 衣装説明会
衣装レンタルにつて「東野屋さん」にも来ていただき
説明を受けました。
ブ ロ グ 
     
4月7日 年番実行委員会 稚児・手古舞衣装協議 ブ ロ グ
4月3日 橿原神宮例祭 年番執行 発表 ブ ロ グ
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①那珂湊天満宮御祭禮
  ②獅子(ささら)について  ③弥勒(みろく)につて  ④御神輿について

                                                                 
⑤風流物について   ⑥平成25年御祭禮日程  ⑦囃子について 
紹介

「田中町」は旧町名で現在のひたちなか市栄町2丁目、田中後を中心に釈迦町、栄町1丁目の一部で、
那珂湊港の近傍に位置し、ひたち海浜鉄道湊線なかみなと駅から徒歩10分くらいのところにあります。

田中町氏子会は155軒あり、氏子会会長を筆頭に評議員、若連あわせ80名を中心に活動しています。

ひたちなか市の那珂湊地区の夏祭りは天満宮御祭禮または八朔祭りと呼ばれ、
鎌倉時代以来、700年以上の伝統を持ち、江戸時代初期、元禄8(1695)に、水戸藩二代藩主・徳川光圀公は、
祖父・徳川家康公の江戸城入城記念日であった八月一日(八朔)を天満宮御祭禮の期間と定め、
格式・形式は、徳川家康公を祀る東照宮にならったものとしました。
現在の形になって300年を超える個性的な祭りで、関東三大祭としてにぎわっていました。

以前は背の高い山車の上に各町競って人形等飾り物をした形式が主流でした。
獅子と弥勒は江戸時代のままの姿ですが、他の風流物は、明治末期に電線が張られてからは、
現在のような屋台ばかりになりました。

屋台には芸者衆が乗り、昼夜二通りの違ったお囃子になります。
昼間は優雅に舞い、門付けをしながら町渡しをします。夜は激しく華やかに囃しながら御神輿をお送りします。

お囃子に三味線が入る点や、屋台が御神輿よりも目立ってしまう点などは、かなり珍しいかもしれません。

現在は芸者衆も減ったため、民謡保存会などが乗っている町内が多く、
田中町も「粋鼓連」の方々に乗っていただいています。

門付けには「磯節」「網のし」などの民謡で舞を披露します。

また御神輿を海中で揉み、陸(おか)へ上がっては「あばれ神輿」と化す、
御神輿の「お浜入り」も見どころの一つです。

日程

日程は、本来は旧暦の八月朔日から四日間でしたが、
現在は新暦8月第一金曜日を例祭とし4日間(木・金・土・日)にしています。

1日目のお宮参りは

年番町により、各町に御祭禮開催をお知らせするためにお宮参りの行列をします。

行列には手古舞・稚児も加わります。

2日目の例大祭は

御神輿への御神体移しなどの神事・儀式、年番引継ぎ、供奉順抽選などを天満宮にて行います。

3日目の神幸祭は

各町内の風流物(山車・屋台)は、朝9時頃から夕方までは「町渡し」(門付け)と言って、
あでやかに舞いながら、各町の祭典事務所、若連事務所への挨拶廻りをします。
年番町は天満宮で神事を行い、御神輿の御出発(18)に備えます。
詰所になる明神町には、露払いの獅子六町目、纏和田町、元町弥勒、抽選順に
旧・二十二町内の町印、屋台(16)が集合し花火を合図に17時30分出発します。
御神輿行列のお供の任務を果たした風流物行列は、自由巡行になり本町通りから自町内へ戻ります。

4日目は神幸祭2日目・還幸祭となり

御神輿は早朝5時にお仮殿での神事の後、6時に海中でもみ合う「お浜入り」し
、町々を「あばれ神輿」となって一巡後、午前10時にはお仮殿へ安置され、
再び神聖な姿で18時からの還幸行列で天満宮へ戻ります。
各町の風流物は、神幸祭同様町渡しをしながら、16時に和田町中通り詰所に集合し、花火を合図に18時に出発します。
風流物は、本通りから自町内へ戻って、千秋楽となります。

特徴

那珂湊天満宮御祭禮の大きな特徴は、伝統と格式とを重んじて正確に伝承する点、
かつての豪商達や網元達の旦那衆、若衆達が心意気や粋の見せどころ張りどころと、
これでもかと財力の散財をする派手さ・豪快さを競いました。 これも水戸藩の台所と言われた那珂湊ならではだと思います。

数々の郷土史資料にも、

「那珂湊天満宮の祭礼の特徴は、浜下りの御神幸の格式もさることながら、この驚くべき華美と出費とにある。」とか、

「明治時代末期になっても、那珂湊八朔祭りの華美とそれに伴う莫大な出費は、変わることはなかった。」とか、

「湊の衰退の現状を考慮して、華美を廃せとの運動が起こったが、結局、変わらなかった。」とか、

「敗戦の翌年・昭和21年は、平和が戻った喜びで、風流物の出場も特に多く、記録的な大祭となった。」とか、

「昭和22年の大火からまだ2年なのに、昭和24年には早くも復興祭と称して本祭りを挙行した。」などと書かれて居るように、
本祭りの実行には莫大な費用がかかるのは事実であります。

年番町は天神様の梅鉢の御紋入りの羽織・袴を新調し、女の子達は手古舞姿一式を新調します。
各町は、風流物の新調や維持・手直しや、 役員は梅鉢の御紋入りの羽織、若い衆は町名入りの半纏等そろえます。
他町の風流物に自町内の祭典事務所、若連事務所で「門付け」のために出す御祝儀のほか、
飲み食いなどにも大盤振る舞いをしました。
湊の人達は本祭り挙行をするからには無理をしてでも見栄を張ってドーンと寄付金を出していました。  ページトップへ

お囃子

祭り囃子は、十数種類も存在しますが、主に用いる曲目は67曲程度です。

田中町の場合は祭典事務所で「ひなぶり三番叟」を舞い、「四町目」で出発します。
他町内へ入れば、主に「おっしゃい」「とっぴき」などの囃子を用います。
明神町詰所からの御神幸行列の出発時は、全町内の屋台は一斉に「四町目」で囃し、
天満宮前を通過する頃には「おっしゃい」に転じます。

和田町詰所からの還御行列の出発時は、「鎌倉」で囃し、本通りへ出ると「おっしゃい」に転じ最高潮になります。

田中町へ着くと「本町二町目」に変わり、「千秋楽」となります。

お囃子・囃し言葉・唄・鳴り物・舞いは、全て生演奏です。

屋台の舞台上は必ず女性で、格子戸で仕切られた楽屋内は男性(横笛、鉦)で、 

大太鼓1名、小太鼓3名、三味線3名、唄2名、横笛1名、鉦(かね)1名です。

主に使われる囃子

四町目」

初日朝引き出し、町内を一回りするとき用います 

「おっしゃい」

即興の囃子詩や掛け声が入って、お囃子さんや若衆も威勢がつくので
  ずば抜けて愛用されています

「とっぴき」

大急ぎの時や、坂を一気に登る時使います
  男囃子連のもので、三味線は入りません

「早渡り」

時間に追われたときや、裏通りなど先を急ぐ場合用います

「鎌倉」

和田町詰所からの還御行列の出発時に用います

「本町二町目」

屋台が町内へ戻ってから、引き納めるまで用います

いわれ 

和田町の漁師・金兵衛が、夜の浜辺で発見して、湊の第一鎮守・橿原明神の神主に届け出ました。
梅鉢の御紋が入っていたので、学問の神様菅原道真公(天神様)としてお祀りしていましたが、実際には古い御神体は観音像でした。
そのため水戸光圀公が天満宮を正式に湊の第二鎮守(二大鎮守)とし、
社殿の建て替え時に、御神体も東條常言に命じて菅原道真公の御神体を新造して奉安しました。

天神様が御祭神なので、社殿・御神体・御神輿・風流物(獅子・弥勒・纏・屋台)などのお印は、
天神様の梅鉢の御紋で統一されています。

しかし提灯や旗などのお印は、梅鉢と徳川家の葵の御紋の物とが、ほぼ同格に使われており、
徳川家・東照宮のカラーの強い特殊な天神祭りであるかもしれません。

イベントとの違い

花火大会やフェスティバルは、あくまで年中行事(イベント)であり、神様不在なので真の祭礼ではありません。

戦後は、イベントと祭礼とが混同されてしまう傾向にあり、どちらも「お祭り」と呼ばれています。

那珂湊天満宮御祭禮は、全てが有形・無形の文化財で、300年も挙行されている伝統的なお祭りであり、
神事・儀式を主軸にして、郷土愛・連帯感などを共有しあっています。これかも引き継いでいきたいものです。

天満宮 天満宮は、菅原道真公を奉斎した神社で、今から700余年前の鎌倉時代、会場に種々の奇瑞が現われ、
神託を乞うや、道真公の神霊が、この地に降ったとのことであった。
時の領主は、北野山満福寺泉蔵院を創建して守護させ、神領として二十五貫文の地を寄せられた。
それ以来、住民の信仰が篤く、南北朝時代の頃には、神前で大般若経の転読が催された記録が見える。
神仏混淆の時代には、久しく仏像を安置しておいた。
時が移り江戸時代になると、第二徳川光圀公は、元禄年中に寺社改革(神仏分離)を行い、
家臣東條常言に命じて、菅公の御神像を造らせ、神宝を添えて遷官の式を行わせた。
また祭礼の式も改め、社職を泉蔵院別当から柏原明神(現在の橿原神宮)の社守鈴木長門に命じた。
?来、歴代の藩主は、とくに天満宮を尊崇し、祭礼の式は幾度か改められ、数百年を経た現在も伝承されている。
               昭和五十八年五月 天満宮宮司 井上 義
橿原神宮 神武天皇・桓武天皇・崇道天皇を奉斎した社で、奈良時代の和銅年中に創建したといわれ、
室町時代の仁寿年中になって石崎村升原(茨城町中石崎)から、湊村の宮山町(明神町)に奉遷した。 
延長5年頃は柏原大明神と称して、この地方の布施・鈴木家などを中心とした平氏一族の守護神となっていた。
その後、社名を橿原神宮と改め、湊村の鎮守として尊崇されるようになった。
宮山町にあった社殿は、江戸時代の寛文12年(1672)に炎上し、同年8月17日、富士ノ上地内に遷した。
今日までに約300年の歳月が経過している。
ご祭神は、神武東征や蝦夷征討などの故事に因んで、多くの崇敬者から厄除けの神とあがめられている。
参照 「屋台のわだち」菊池恒雄(那波屋店主)さん著  那珂湊天満宮御祭礼HP  田中町役員さん

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YouTube
参照 マキさんのHP マキさんのHP 那珂湊天満宮御祭礼HP

会議等は磯良ビルさんのご厚意で使用させていただいています。

http://www.isora.co.jp/estate_building.html













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